【このブログは私的な内容です。】
2004年9月29日から18年11か月で3700回以上投稿していて、ほとんどが
窓周りに関する話ですが、今回はプライベートな話が中心で自分の備忘録と
して書いています。
ネット上に残しておくと19年前の文章も読めますし、今後20年後にも
この出来事が読めるので便利なのです。
先日、亡父の七回忌法要と母の卒寿のお祝い会をしました。
ひ孫までの4代にわたる親族19名が集まり、実家で法要を済ませ、
その後全員 大津市の琵琶湖ホテルで法要のお斎(おとき)と卒寿のお祝い会を
しました。
兼ねてするとご両人に失礼にあたるので、同じ会場で一部、二部にわけて、
最初は献杯で、後半は乾杯で仕切りなおしてやりました。
父は89才で亡くなったのですが、先取りの精神の旺盛の人で30年前以上から
電子手帳を持ってスケジュール管理をしていました。
23年前の72才の時に「これからはインターネットを使えないと生きていけない」と
言ってパソコン教室に行ってネットを使えこなせるようになりました。
Wordで案内文をつくることもできました。
その時の気持ちを忘れないようにと携帯のメールアドレスはkojima72@……..と
していました。
また、生まれ育った本家が宇治茶の製造販売業で、その仕事に50年以上携わっていました。
昔の屋号が「山一」でそれを残したいという想いでパソコンのメールアドレスを
yamaichi@・・・としていました。
新しいものを取り入れながら伝統も重んじていました。
私には父のお茶の緑色の血が流れていますので、その精神は受けついているつもりです。
母は今年90才で、足は弱っていますが頭は冴えわたっています。
父が亡くなってから我々子供たちと連絡できやすくするためにタブレットを与え、
LINEができるようにしました。
最初の頃は音声入力しかできなかったのですが、今やスタンプや絵文字まで使いこなせる
ようになりました。
毎日タブレットを持ち歩いており、ネット検索もします。
グーグルマップで住所を入力してストリートビューで家の外観をみるのが
好きだと言っていました。
母は外装、息子は内装に興味のある親子です。
卒寿のお祝いは初めての経験でどのようにすればいいのかを
チャットGPTに聞いてみました。
そしたら8項目にわたって完璧な回答があり、それを実施しました。
画像をクリック(タップ)すれば拡大して読めるようになります。
これに基づいて、卒寿のお祝い会をしました。
琵琶湖ホテルは1934年創業の89年目で、母より1年若かったのです。
上の画像は真ん中の赤い三角をクリックすると動画になります。
卒寿の色は紫なので、私は紫の蝶ネクタイとポケットチーフを
用意しました。
親族には、各カーテンメーカーから紫色のカットサンプルを少しずつ
もらって、全員それをもって記念撮影をしました。
母には生まれた日と結婚記念日の新聞とお洋服を子供たちから
プレゼントしました。
ちなみに米寿の時はこんな感じでした。
米寿の色は黄色なので、ベージュのジャケットに黄色の蝶ネクタイと
ポケットチーフです。
こんなん好きなんですよ。
職業病で窓周りの話も少し書いておきます。
琵琶湖ホテルの客室
カーテン(ドレープ)は、裾は別の生地で切り替えしていて、タテは
ボーダー仕様になっていました。
部屋からの琵琶湖
2階のロビーはシャープシェード(トーソーのメカ)
レストランはニチベイの大型タイプの手動ロールスクリーン