今日は金曜日。
明日は土曜。シルバーウイーク明け2日働いてまた休みの人が多いのでしょうか。
当店は土日は営業しておりますのでご来店をお待ちしております。
昨日、大和証券の若い女性が飛び込み営業にきました。私は会ったことはないのですが、何回か飛び込みで来ていたのと事前に電話ではお話をしていたことがありました。
昨日はアポを取ってこられましたが、初対面でいきなり「台湾に行って来られたんですか」というのです。
来る前に私のブログをチェックしてきたようで「お主、出来るな~」と心で思いましたが、それをいうと相手のペースにはまるので「ちょっとマッサージにね」といいました。
なかなかツボを押さえた営業員でした。感心しました。
さて、本題です。
インハウス(会社名五洋インテックス)が追加で13柄82点の新作を発表しました。
斬新な商品でレースは安くていい商品があります。
昨年発売されたインハウスはいい商品があるのですが、時代よりも先行しており、使いにくい柄が多く、見本帳も使いにくいのです。
起死回生の商品になるはずだったのですが、市場ではあまり評価されず、さらに売り上げを落とし赤字を拡大する結果になったのです。
五洋インテックスは上場をしている会社で、決算書は誰もが見ることができ、ホームページでも公開をしています。
かつては45億ほどあった売り上げが年々15%ぐらい落としており前期は13億ぐらいになっています。今期の第1四半期の決算短信をみても20%売上を落としています。
やばいょ
ここにきて、やっと営業員もケツに火がついている状況に気づき始めたようで、
今回は『必死のパッチ』になっています。
営業員のなんとか売ってほしいという気持ちがひしひしと伝わってくるのです。
私どもは大した力はないですが、なんとかしてあげたいと思っており、今回の新作はたくさん展示しました。「なにかごようですか」コーナーもつくり、五洋インテックス商品をかためて並べました。
当店独自に、インハウスの新作をご注文の方にはその場で巾着袋をプレゼントをします。
インハウスは、かつては日本のカーテン業界のデザインをリードしてきた会社で商品的にはすばらしいものがあります。営業的にはちょっと失敗しました。
私は、サンゲツを辞めて独立した時に、五洋インテックスには大変お世話になったのです。当時は、五洋インテックスは大阪に支店がなく、知名度はなかったのですがいい商品があったのです。特に当時では画期的だったカーテンのスタイルブックの「リサ」という見本帳がすばらしかったのです。
そこに目をつけた私は、快速電車を乗り継いで小牧市にある五洋の本社を訪問し、先代の社長に直接販売してほしい旨をお願いに行ったのです。
先代の社長は快く引き受けてくださり、本来有償の「リサ」の見本帳もたくさん分けていただきました。
当時は、バブルが始まろうとしていた時期で、住宅メーカーもインテリアに力を入れ始めていました。昭和62年で、千里住宅展示場が52棟一斉オープンの時でした。
私は、「千里の道も一歩から」「ゆっくり歩けば遠くに行ける」との思いで、
「リサ」の見本帳を担いで各住宅メーカーに営業に回ったのです。
その結果、独立して6か月ほとんど仕事がなかったのですが、1日にして7棟900万円のカーテンの売上をすることができました。
その話は大阪市の外郭団体の産業創造館の発行する大阪が熱くなるビジネス情報誌「ビ・プラッツ」にも取り上げられました。
全てはそこから始まった
初めての売上げ
私は、サラリーマンを辞める時に、当時付き合っていた彼女に相談したら
「勝手にしたら」と言われたのを「カーテン屋をしたら」と聞き間違えてこの仕事をしました。
彼女にはふられましたが、
リサのことは今でも忘れない。
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