南三陸町に行ってきました。

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  東日本大震災で津波の被害がもっとも大きかった宮城県・南三陸町に行ってきました。

私はは「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の「ミシンでお仕事プロジェクト」を支援しております。全国の皆さまの寄付によって被災地にミシンを提供し、それによって縫製を学んででいただき、商品をつくって販売して収入を得てもらうための自立支援プロジェクトです。

私は、全国の同業者やメーカーに呼びかけてカーテンのハギレや生地を集める係を担当しておりますが、その生地がどのように使われているのかということも知らなければならないし、被災地の事も報道でしか知らないのでこの目でみるために行ってきました。

 

南三陸町は、24歳の女性職員が防災庁舎から最後の最後までマイクを握り締め、住民に避難を呼びかけて自らの命を絶たれたことが報道された町です。

真ん中のむき出しの赤い建物が防災庁舎です。(2012.1.21現在)

 

町の様子です。まだなにもない状態です。
(写真はクリックすると拡大します。)

現地に入ってみると、津波のすごさがよくわかります。残っている建物から想定してこんなに高いところまで波が寄せたのかと思うと信じられないです。

波(並み)じゃなくて、これじゃ大盛りです。   失礼しました。

仮設住宅も回りまして、当日の様子も伺いました。

漁師さんは、津波がきてすぐに船を沖に出して助かったという話。
服の縫製加工所の社長は車に乗ったら、車ごと流されたという話。
お二人とも死を覚悟した時にされたことが共通していまして、漁師さんは救命胴衣をつけて、死んでもみつけてもらえるようにしたと話されていて、縫製加工所の社長はシートベルトをしっかりして、車から流されない方がみつけてもらえやすいと思ったと話されてました。

 

ミシンでお仕事プロジェクトの方は、今まで現地に約370台のミシンを提供しており、今回はスキルアップのための講習会で、家庭用ミシンのいろんな機能についての技術習得や実際にポケットティシュカバーをつくったりしました。

八王子のカーテンショップ「めいくまん」の鈴木さんが80歳のおばあちゃんに教えているところ。このおばあちゃんは、昔、内職でカーテンを縫っていたことがあって、ミシンをいただけたことがうれしくてうれしくてといっておられました。

 

全国のカーテンショップやメーカーからたくさんの生地を提供していただきました。
ほんとにありがとうございました。今回1500mぐらい集まりまして、今回と次回の2月4日分は間に合いました。

私は、生地を特Aクラス、販売用、練習用に仕分けする作業をしていました。(下の左の写真)

最後に練習用の生地を持って帰ってもらうために生地選びをされているところ。(下の右の写真)

 

やはり、いい生地というのは誰が見てもわかるようで、商品として売れそうな生地は人気です。

 

      

 バッグ、小物入れ、ポケットティッシュカバー、コースター、ティッシュカバーケースなどをつくっておられます。
これを販売していて、その売り上げ代金はすべて縫われた方にいくようになっています。

販売して頂けるところも募集しています。

当店でも販売予定で今作っていただいています。

もっと多くの写真はフェイスブックに載せていますのでこちらもご覧ください。

 こちらです。

記念撮影

 

 

おまけ

今回、仮設住宅を回る予定だったので、大阪新名物「面白い恋人」をたくさんもっていきお土産に渡しました。

写真の真ん中が「面白い恋人」

これは、大阪の吉本興業の関連会社が札幌の「白い恋人」をもじってつくったものです。
札幌の石屋製菓から訴訟を起こされてから、売り上げが8倍になり、いちやく全国区になりました。南三陸町でも知名度はあり、大阪のお土産として重宝します。

吉本側も敗訴するまで売り続けると言っていましたが、大阪の代表的なお土産がないなか、このぐらいのシャレはなんとか理解してもらえないかと思っています。

 

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